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執筆者の写真エンパシー協会 日本

【共感コラム】「私には〇〇が無い」に隠れた願い


雲が浮かぶ青空 水彩 タイトルとオリーブの枝

こんにちは。会員の itsukoと申します。

今回は私がコラムを担当させていただきました。

お金がない、才能がない、職がない、優しさがない、自由がない、など「無い無い尽くし」の私が日常のなかでふと気づいたことを書いてます。

時間のある時にじっくり読んでいただければと思います。


 

私は昔からのんびりしていた子どもだった。


いつもぼんやりして、空想したり景色を楽しんだり歌ってたり、それはそれはのんきな子どもだった。

無口で、本を読んだりお絵描きしたり。

何にも縛られず、ほんとうにのびのびした子どもだった。


一方、私の母親は多忙でせっかちな性分だった。行動がゆっくりな私に対して、苛立っていた記憶がつよくある。

常に、急げ、早くしろ、腰が重い、怠けるな、気が利かないなどと言われ続け、何十年。

いつのまにか、私は昔の「わたし」をどこかに置いてきてしまった。


常に急かされている。

常に焦りがある。

知らぬ間に先のことを考える。

早くするために様々なマイルールが増える。

緊張して考えられず失敗を重ね、できない私を私が責める。


そのうち私は好き嫌いや感情が出てこなくなった。


適応するため本来の自分を封じ、ガマンすることを積み重ねた。

毎日親に罵詈雑言を浴び、学校や社会では皆と同じことを同じレベルでできない、

普通でいられない自分を嫌でも感じて、どんどん自分を否定していった。



――そして心を壊した。


ただ泣いた。

泣いて泣いて泣きまくったあとに、私は「頑張らなくていい、何もしない私を赦したい」と強く思ったのを覚えている。



 

・・・とはいえ、自分を変えるのに時間はかかるもの。

数年後、最近ようやく、私は私に「いつ、何をしてもいい」と赦せるようになってきた。


「何もしなくてもよい。逆に、いつ何をしてもよい。」


自分らしさを取り戻したかった私は、気持ちの赴くまま行動を重ねることで人として自立しているという感覚を掴もうとしてきた。


だけど昔の、母親からとり入れた縛りや禁忌が蘇るときがある。

限度がわからず怠惰と自由の区別がつかなくなる。

また過剰適応し、知らぬうちにガマンを重ねて突然泣き崩れたりを繰り返す。



「何をしても、私が私を縛り付けてくる」

暫くの間そんな虚無の気分でずっと過ごしていた。



―――しかしある日ある瞬間、ふと気づいた。


「.……あれ?今、これまで感じたことがないくらい、のびやかで素直な気分でいる…


それは、玄関を開け放って青空と緑を眺めながら、

朝昼兼用のパンケーキを焼いていた午後12時のことだった。

平日の真昼間に、玄関開けてのんきにパンケーキを焼いてるなんて、1ヶ月前には考えられないことだったのだ。


「無い」と思っているものの裏には必ず「願い」が「在る」。

私の場合、「自由がない」という思いの裏に「開放」という願いが在った



願いを大切にできたその時間、私は私の心をひたひたと満たす喜びを噛み締めていた。



 

あなたも「私にはこれがない」からダメなんだ、と思うことがあるのかもしれません。


その時、「無い」と思いこんでいるものには、あなたの願いが「在る」。

「無い」の奥に何が「在る」のか、探してみると自分を大切にできる時間が増えますね。




最後までお読み頂きありがとうございました。


寒い日が続きます。

皆様心と同じようにお身体をあたためて大切にしてくださいね。




itsuko





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