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共感コラム【フードデリバリーと私】

こんにちは。 認定講師のしょこたんです。
今回も私の日常で感じたエンパシーのお話をコラムにしました。

ここ最近、とても身近になっているフードデリバリー。
いたる所で配達員さんの姿を見かけますよね。

実は私、このサービスを利用することが1年くらい前までとても恐怖でした。
それは、自分が怠けているということを受け入れなくてはならないような感覚になるから。

でも、あることをきっかけに思い切って頼んでみてからというもの、時々利用しています。(頼んでみたら大したことなくとにかく便利!)

何度か利用するたびに、少しずつ気がついたのです。
オーダーするまでにたくさんの葛藤が生まれていると、、、

“今日のお昼はデリバリーにしようかな?”と考えがよぎります。
この時点で頼むことはほぼ確定しているのですが、そこからが長い。
15分〜30分くらいは、本当にそれでいいのか?と考えを巡らせます。

そこで、この葛藤にエンパシーを向けてみました。

“ファーストフードを口にすることへの恐怖”
“身体を労れていないことへの罪悪感”
“太ることへの恐怖”
“無駄使いをしているという罪悪感”
といった具合にたくさんの『恐怖心』や『罪悪感』が出てきました。

その中でも一番心が動いたのは、
“知らない誰かがウチに来る恐怖”
たった一瞬の受け取りも怖い。

思い返せば、予期せず鳴るチャイムに毎回驚いています。
当たり前なことすぎて気がついていなかったけど、確かに驚いている。
それは自分で時間指定を依頼した郵便や荷物に関しても一緒。
いつもドキドキする。

気がついていなかった感覚の敏感さを発見したとともに、 日常生活の中でも緊張することが多いのだなと自分を労いました。

じゃあ、「知らない誰か」が怖いのは何で?何があるの??

その先にあったこと、それは小さな頃の記憶でした。

子どもの頃住んでいた家は、素材が鉄の玄関でした。
そこには、キツツキを模した呼び鈴がついており、紐を引っ張るとキツツキが木をつつく動きをするため、音が鳴るという仕掛けでした。
来客者はその紐を引っ張り音を出し、家の中の者はその音で来客があると気がつくのですが、その音がやたらと大きい。
感覚としては、大人が拳で強めにドアを叩くような感じかな?
扉が鉄だからより一層反響していたのかもしれませんが、子どもの私はいつもドキッとさせられていました。
また、当時は訪問販売も多かったので、毅然とした態度でその訪問販売を断る母の姿もいつもと様子が違うため、怖かった。
影からこっそり様子を覗いたり、見えない所から聞き耳を立てていました。

そう、知らない誰かが来ることは、私にとって一大事だったのです。

それが大人になった今、デリバリーへの恐怖に繋がっている。
何とも不思議で尊いな〜と。

宅配便だと、地域担当の方が届けてくれるから顔を覚えていけて安心する。
郵便は、制服があるし頻度が多いから慣れる。
デリバリーは、バック以外みんなバラバラ。常に初めまして。
その違いがあるようです。

幼い私が突然やってくる来客にビクビクしていたこと。
一人で我慢し抱えてきたこと。
一生懸命に自分を守ろうとしていたこと。

それらと繋がることができた今、なんだかすごく温かい気持ちになっています。

次、デリバリーを頼む時はどんな感情になるのだろう?


その時を楽しみに、今日のコラムはここでおしまい。
また私の発見の物語にお付き合いくださいませ。

【筆者/しょこたん】